こんにちは、ハルです(^^)v
今年は5月14日(日)が母の日です。
母の日の由来について調べてみました!
母の日は、日頃の苦労を敬い、感謝の気持ちを表す日であり、カーネーションを贈るのが一般的です。 (お母さん好みの他のギフトももちろんありますが…)
なぜ5月の第2日曜が母の日となったのでしょうか。
また、カーネーションを贈るようになったのはどんな理由からなのでしょうか…
日本の母の日はアメリカから伝わった
母の日は世界各国にあり由来もさまざまですが、日本の母の日はアメリカから伝わった風習だそうです。
1905年5月9日、アメリカのフィラデルフィアに住む少女「アンナ・ジャービス」が母の死をきっかけに、「生きている間にお母さんに感謝の気持ちを伝える機会を設けるべきだ!」と働きかけたのが始まりとされています。
この働きかけがアメリカ全土に広まり、1914年には当時の大統領「ウィルソン」が、5月の第2日曜日を「母の日」と制定し、国民の祝日となりました。
また、アンナの母親が好きだった白いカーネーションを追悼式の祭壇に飾ったことから、母が健在であれば赤いカーネーション、亡くなっていれば白いカーネーションを飾るようになり、現在のように「母の日にはカーネーションを贈る」習慣が生まれたと言われています。
カーネーションの色は、亡くなられている場合は白色、ご健在であれば赤色を当初は贈っていましたがこの決まりは、母のない子どもにとってつらいのではないかという意見が増えたため、母の日には統一して赤いカーネーションを贈るという風に変化していったようです。
母を思う大切な気持ちがきっかけ
アンナの母であるアン・ジャービスは牧師の夫を早くに亡くし、戦争や病気で8人の子供を失いながらも残った二人の娘を女で一人で育て上げた強い母であり、社会活動家でもありました。
その活動は病気や貧しい人のための募金活動や食品検査、公衆衛生活動などでした。
南北戦争時には中立を宣言するとともに、南北双方の兵士を看病したり、双方の敵意をなくそうと試みたイベントに、南北双方の兵士や地域の人々を招くなどし大成功を収めるなど、女性の地位がまだ低かった当時のアメリカで社会改革にも貢献しました。
また、クリスチャンで日曜学校の牧師を26年間も務めていたそうです。
このような経歴を持つアン・ジャービスだからこそ、追悼式でのアンナの行為が社会的にも注目を集めたのでしょうか。
母の日のはじまりはアンナが母を大切に想う気持ちから生まれたといっても過言ではないようですね!
また、カーネーションの花言葉が「母の愛」、「純粋な愛」と母性愛を象徴するものだったことも影響しているようです。
日本では3月だった母の日
日本で最初に母の日が行われたのは、明治時代末期と言われています。
それが大正時代になるとキリスト教会や日曜学校で徐々に広がっていき、昭和に入ると大日本連合婦人会が結成されたのをきっかけに、皇后の誕生日の3月6日を母の日と定めました。
この頃の日本の母の日は、今のように5月ではなかったんですね。
当時の母の日はそれほど国民には普及していませんでしたが、1937年(昭和12年)お菓子メーカーである森永製菓が「森永母の日大会」と称して大々的な告知行い広めたことで全国的に認知され、母の日は各地に広まっていきました。
また、1949年ごろからはアメリカの例にならって5月の第2日曜日に行われるようになり、これが一般的となりました。
もっと古くからあるイメージの母の日ですが、実際に日本で広まったのは最近の事なんですね。
アンナ・ジャービスの思いを大切に、母親への感謝の気持ちを忘れずにいたいですね。
都島在住、小学生男児の母です。趣味は旅行、水泳、スキー、リバースエイジング美容です。