こんにちは、ぱぱ記者Kenです。
3月7日、国際女性デーを前にしてタカラベルモント株式会社は、自社のTB-SQUARE osakaで、「女性のエンパワーメント推進と社会活性化」及び「SDGs(持続可能な開発目標)推進」を目的に、「OSAKA WOMAN TALK PROJECT」を開催。
今回は、大阪・関西万博の開幕を約1か月後に控える中、「万博×女性」をテーマにしたトークショーのほか、コシノジュンコさんのデザインによる同社ブースのスタッフユニフォームをファッションショー形式で初披露しました。
今回のイベントには、1970年の大阪万博で3つのパビリオンのユニフォームをデザインしたコシノジュンコさん、大阪・関西万博にて同社が出展する「大阪ヘルスケアパビリオン」のブースデザインを手がけた山出美弥さん、そして乃村工藝社で博覧会資料担当を務める学芸員の石川敦子さんが登壇し、ファッション、建築、働き方の 3 つの視点から「万博と女性」についてトークを展開しました。各自のメッセージは以下の通り。
石川敦子さん1893年のシカゴパビリオンでは婦人館というパビリオンがあり、日本からも20名以上の女性いよって選ばれた品々が展示されたという記録があり、女性は当時から万博に関わりを持っていた。また、70年万博の際は、女性は「万国博ホステス」と呼ばれ、会場内に案内役の女性が450名、そして各企業のパビリオンでも多くの女性が活躍していました。
そして今回は、ウーマンズパビリオンの建設に携わる形で女性がデザイナーとして活躍しています。
また1970年万博でファーストフードや回転寿司が初めて登場し、その結果女性の家事の軽減に繋がっています。そして同じ年にファッション雑誌のananが創刊されたりもしています。その影響もあってか、開幕当初はスーツなどのスーツなどの正装で来場する人が多かったのに、後半は殆どの人がカジュアルなファッションで来場していました。
コシノジュンコさん70年万博は、女性が世界中から来た人と出会う機会であったと思う。
万博自体は建築合戦でした。まず建物ありきで、その立派さを競っていました。その建築があって初めて、その中で活動するコンパニオンが求められた時代でした。当時20代だった私は、生活産業館、ペプシコーラ館、そしてタカラビューティリオン館の3つのパビリオンのユニフォームをデザインさせてもらいました。まだ若かったが、大きな仕事をさせてもらったおかげで、その後の私があると思う。女性があれだけの世界で活躍出来る、世界へ進出できたのは大きな功績だったと思う。
山出美弥さん建築業界は男性社会のイメージが強いですが、育休や産休などのサポートを得て、男性に支えられながら女性は頑張っていると思います。女性の繊細なデザインや細かなところへ手が届く感覚は70年万博から培ってこられたのではないかと思います。女性は社会に対して遠慮していると感じています。若い女性が自由に活躍出来る社会であって欲しいと願っている。50年、100年先を見て若者を引っ張っていけるようにいきたい
三人三様にそれぞれの立場から万博における女性の立ち位置や活躍の様子、その後の女性の社会での地位や活躍の場の広がりなどを話してトークショーは終了し、その後コシノジュンコさんデザインの2025年版ユニフォームをお披露目して、未来の女性活躍に期待を添えて終了しました。
昨年の国際女性デーと比べるとかなり賑やかで手の込んだ演出でしたが、伝えたいメッセージは代わりなく、女性が活躍していける社会を目指している、ということ。
今年の万博を機に、一段と女性が活躍出来る社会になることを期待したいです。
「女性のエンパワーメント」を語る『TAKARA BELMONT presents HAPPY WOMAN TALK』に参加しよう!

