こんにちは、なんちゃんです!
推し活やってますか?
推しがいると人生は楽しい!
「推し活」とはイチオシのタレントやキャラクターなど「推し」を応援する活動のこと
まだ自分の推しが見つかっていないという「あなた」。そんなあなたには、大阪プロレスのレスラーを自分の推しにすることをお勧めします♪
大阪プロレスのレスラーはこんなに素敵
1、会いにいけるアイドルである
試合やイベントで会える、話せる、一緒に写真も撮れる、サインももらえる!大阪プロレスのレスラーは、みなさんとっても紳士でフレンドリーです♪
2、子どもが喜ぶ
強くてかっこよく、優しく、面白い。そんな大阪プロレスのレスラーは子どもたちにも大人気。親子で応援できるので、親子の絆が深まること間違いなし!
3、笑いあり涙あり、大阪で最高のエンターテイメントである
大阪プロレスは知れば知るほど奥が深い。今の時代、YouTubeなどで昔の試合も見ることができる。大阪プロレス=お笑いのイメージが強いかもしれないが、かっこいい試合、感動の試合も盛りだくさんなのである。
大阪エスペランサ『ビリーケン・キッド』
そんな大阪プロレスを100倍楽しむためには、選手のことを知るのが一番!
ということで、今回はビリーケン・キッド選手をご紹介したいと思います。
ビリーケン・キッド選手は通天閣に祭られている幸運の神「ビリケン」をモチーフにした覆面レスラー。
メキシコで培ったルチャ・リブレ(スペイン語でプロレス。特にメキシコのメキシカンスタイルのこと)を武器に大阪プロレスのトップ選手となったビリーケン・キッド選手に迫ります!
ビッグベイビーな末っ子誕生!
東京都足立区で土木業を営む両親の元、3人兄弟の末っ子として生まれたビリーケン・キッド選手。(以下ビリーさん)
なんと4300g越えのビックベイビーでした!
幼稚園に入る頃にはクラスで一番背が小さかったそうです。
身体は小さいもののよく食べ、8歳上と5歳上のお兄さんに必死に付いて回って遊ぶ元気な少年でした。
そんなビリーさんがプロレスに興味を持ち始めたのは小学2年生の頃。
プロレス好きの兄に勧められ、初代タイガーマスクの試合をテレビで観て心を奪われたそうです。
そこからプロレスラーになるためにはどうすればいいのかと、プロレス漫画『1・2の三四郎』を読みスクワットに励む日々。
なんと毎日100回もこなしていたそうです!
「小さい頃から筋トレをしていたから背が伸びなかったんです」と笑って話すビリーさん。
そんな小さな頃からコツコツ筋トレを続けられるなんてすごいですよね。
友人とよく野球をして遊んでいたことから、高校時代は野球部に所属。
お兄さんはずっとプロレスが好きで、家には常にたくさんのプロレス雑誌がありました。
その雑誌で見た空中殺法に興味を持ち、お兄さんとプロレスを見に行きます。
そこでウルティモ・ドラゴン選手の試合を見て、タイガーマスク選手以来の衝撃を受けたそうです。
ウルティモ・ドラゴン選手は、新日本プロレスの入門テストにクリアしたものの身長が低いという理由で入団できず、メキシコでルチャ・リブレの選手としてデビューしてから、日本に戻ってきてプロレスラーとなった選手。
メキシコだったら身長関係なくプロレスラーとしてデビューできることを知ったビリーさんは、メキシコに行ってルチャ・リブレを習いたいと思うように。
メキシコでルチャドール(ルチャ・リブレの選手のこと)になりたいという夢を抱きながら、高校卒業間近になってもその夢を言い出せず、担任の先生には職業専門学校を勧められます。
小学生の頃は毎年、写生会で賞状をもらっていたというビリーさん。
先生に勧められ広告美術科の職業専門学校に行くことを決意します。
1年通いましたが、プロレスラーになりたい夢が捨てられず、語学留学としてメキシコに行くことを決意します。
周りからはなぜメキシコ?なぜスペイン語?と言われたのですが、ルチャドールになるためとは言い出せずにいました。両親からは家業の土木業を手伝ってお金を貯めてから留学するように言われ、1年間仕事に励んだそうです。
1年間家業を手伝って貯金した後、仕事ばかりでトレーニングができていなかったため、さらに1年アルバイトをしながら身体作りをし、メキシコへ渡ります。
いざ、メキシコへ!
21歳になったビリーさん、遂にメキシコへ渡ります。
海外どころか飛行機も初めてだったそうです。
シートの背もたれの倒し方がわからず、イチかバチか座席のボタンを押すとCAさんが来てしまい、英語が全く分からないビリーさんは寝たふりをしてやり過ごしたそうです。
結局背もたれは倒せないまま、本物のビリケンさんのように直角に座ったまま15時間のフライトを終え到着したメキシコ。
しかし、さすがビリーさん。なんとホテルに到着してすぐ筋トレに励んだそうです!
その後はメキシコ中南部の都市、クエルナバカでホームステイしながら語学学校に通い、2ヶ月必死でスペイン語を勉強しました。
メキシコでの運命的な出会い
言葉も通じない異国の地で、なんとも幸運な出会いが続いたというビリーさん。なんと…
①ホームステイ先に以前住んでいたのが日本人女性女性はホームステイ終了後もよくその家に遊びに来ており、メキシコでの生活のことについて色々教えてもらえたそうです。
②日本語が流暢なメキシコ人と出会う語学学校が紹介してくれたメキシコの青年ジャイール。
彼と一緒にルチャリブレを見に行った際、ビリーさんはルチャドールになりたくてメキシコに来たことを告げます。
すると友人にルチャドールがいるから紹介してくれるとのこと!
後日友人のルチャドールを紹介してくれ、所属する団体のオーナーも紹介してくれたそうです。
③ジャイールの父が医師ルチャ・リブレの団体に入るために医師の診断書が必要となり、異国の地でどうしようかと思っていたところ、なんとジャイールさんのお父さんが医師という偶然が!
カタコトのスペイン語で診断を受け、無事に診断書を書いてもらえました。
なんという幸運の持ち主でしょう!
こうしてビリーさんはルチャ・リブレのジムに通いだします。
現在同じ大阪プロレスで活躍するツバサ選手は、同じくクエルナバカでルチャ・リブレをしていたものの入れ違いだったらしく、ビリーケン・キッド選手はメキシコのテレビでルチャドールとして活躍するツバサ選手を見ていたそうです。
ついにルチャドールとしてデビュー!
メキシコに行ってから1年半、1997年3月9日に“Tobikage”(飛影)というリングネームでデビュー。
当時はマスクマンではなく素顔でのデビューでした。
しかし、このままではこの会場だけのローカルなルチャドールで終わってしまう!と感じたビリーさん。
首都のメキシコシティでデビューしたいと考えていたところ、近くにメジャー団体所属の現役ルチャドールが運営するジムができることを知り、早速ジムを移籍。
そのルチャドールがメジャー団体に紹介してくれることになりました。
メジャー団体へ!
AAA(トリプレア)というメキシコのメジャー団体に入団し、日本人の4人組ユニット「ロス・カミカゼス」を結成。
日本のプロレス雑誌に載ったことで、初めて両親がプロレスラーになったことを知ったそうです!
伝説のお◯んちん事件
「ロス・カミカゼス」の試合はもちろんメキシコでテレビ中継されていました。そんな中、試合でビリーさんが股間を打ち、しかも何度もリプレイされた回がありました。
たまたまその様子をテレビ見てたツバサ選手は、当時を振り返り
「まだこの時点で当時、僕はC.M.L.Lという団体に所属していました。メキシコのもう一つのメジャー団体AAAに『ロス・カミカゼスイシーダス』という日本人ユニットが誕生したという事を聞いて、ライバル団体としても日本人としても絶対に負けたくないという思いを持っていました。
ある日レスラー仲間とルチャリブレのテレビ中継を見ていた時、カミカゼスイシーダスの試合が放映され、飛影(ビリーさんの前身)が華麗に相手を場外に落とし、ロープを使ったフィンタ(場外に飛ぶフェイント)をした瞬間、バランスを崩しロープに絡まるように股間を打ちつけリング内に転がりました。
一緒に観ていたレスラー仲間から「ペンデホ!!!」(日本語でアホという意味)と大爆笑が…
ビリーさんが股間を打つ瞬間が何度もスロー再生されメキシコ全土に放映されました。」
この時ツバサ青年は、同じ日本人としての怒りが沸々と湧き上がってきたそうです。ツバサ選手の優しさが伝わるエピソードですね!
ただ、メキシコでは2人は出会っておらず、お互いテレビで見て知っていただけだったそうです。
そんなことがあっても、「(ツバサさんから自分に対しての印象は)マイナスからのスタートだったので得だった」と明るく語るビリーさん。
本当にポジティブですね。
当時の写真はあまりないというビリーケン・キッド選手ですが、
「メキシコに行ったら写真を撮られる側になる!」という理由でカメラを持って行かなかったそう。
AAAに入団直後は貯金できるほどの収入がもらえていたのですが、だんだんと試合に呼ばれなくなり、貯金を崩して生活するようになっていきます。
ルチャドールとしてメキシコで生計を立てることに限界を感じ、帰国を考え出したビリーさん。
どのタイミングで帰国しようか迷っていたところ、九州のプロレス団体からツアーをするから日本に帰ってくるなら試合に出ないかと誘われ、ちょうどいいチャンスだと帰国を決意。
帰国
そして2000年に帰国。
帰国後は実家に戻り、友人の勤める会社でアルバイトをして生活していたビリーさん。
レッスル夢ファクトリーという団体で、東映のVシネマの特撮ヒーローのキャラクター『ジャック☆ガイスト』として覆面レスラーの活動をすることに。
メキシコにいたときに大阪プロレスの評判を耳にし、帰国したら大阪プロレスに入りたいと思っていたビリーさん。メキシコから大阪プロレスに試合のビデオと履歴書を送っていたのですが、返答はありませんでした。
チャンス到来!ついに大阪プロレスへ
そんなビリーさんに、大阪プロレスの選手と試合をする機会が訪れます。
ジャック☆ガイスト&ザ・グレート・タケル&超人勇者GヴァリオンVSスペル・デルフィン&くいしんぼう仮面&橘隆志、レフェリーが松井さん(当時の大阪プロレス)という試合が組まれます。
これはビッグチャンスだと思い、自身の技をどんどん出して猛アピール!
スカウトされるのでは?!と期待し、試合後にスペル・デルフィン選手(当時の大阪プロレス社長)に挨拶に行ったのですが、何も言われず。
他の選手もいる大部屋だから話しづらいのではと考え、もう少し時間を置いて他の選手がいなくなってから控室に行くと、大阪プロレスさんは既に帰ってしまっていたそうてす。
「やはり大阪プロレスの敷居は高い」と落胆していたビリーさん。
ところが、2週間後電話がかかってきて「大阪プロレスで1試合しないか」と言われたそうです!
実は試合後、くいしんぼう仮面と松井レフェリーが、ビリーさんを推薦していてくれていたのです。
またもやチャンス到来。
この機会を逃すまいと、レッスル夢ファクトリーという団体もアルバイトも辞め、トレーニングに打ち込みます。
両親にはアルバイトを辞めたことは言い出せず、アルバイトの時間になると家を出て、河原に行って練習していたそうです。
そして迎えた試合の日。
控室でスペル・デルフィン選手と2人きりになり
「普段何してんの?どこに住んでるの?彼女は?
最初は合宿所に住んでもらって、嫌なら一人でアパート探して住んだらいいから。」
と言われ、もしかして…スカウトされてる?!
と思ったビリーさん。
「そのお話は僕の今日の試合を見てから改めて聞かせてください。一生懸命がんばるんで、僕の試合を見て判断してください」
と言ったそうです。
なんてかっこいいセリフ!
そして試合後スペル・デルフィン選手から
「今度個人的に電話するから待っとって。
もうリングネームも決めてあるで。ビリーケン・キッドや」
と言われたそう。
遂に2002年2月ビリーケン・キッドが誕生!
デビュー戦はビリーケン・キッド&スペル・デルフィンVSツバサ&ブラックバファロー
その試合でコテンパンに負けてしまったビリーさん。
「この団体ではやっていけない…」「来年はクビになるな」とすっかり自信をなくしてしまったそう。
憧れていた大阪プロレスに入ることができたのに、試合の前日には憂鬱になる日々。
そんな矢先、HUB選手(当時のスペル・デメキン)と試合をし、すごく嚙み合った試合ができたそう。
自分の全てを出し切れる相手だったと話すビリーさん。
翌週も同じカードの試合を組まれ、それを見たツバサ選手に「グッドマッチ!」と言ってもらい、大阪プロレスでやっていける自信が持てるようになったのだとか。
「HUB選手がいなかったら逃げていた。あの人がいなかったらビリーケン・キッドは存在していない。本当に僕はラッキーだった。本当に出会いに恵まれてた。」と語るビリーさん。
人気のレスラー誕生までにこんな紆余曲折があったんですね。
ビリーケン・キッドの今後は?
大ケガをするか50歳になったら引退すると考えていたビリーさん。
今年で50歳になるそうですが、今は全く辞めるつもりはないそう。
「今年がピークと思っていても毎年それを超えていく」そうです!
最近は60歳くらいまでやったらもういいかなと思うとのこと。
大ケガも何度かしたようですが、その度に「何の為にプロレスをやっているのか考えるいい機会になっている。」「みんなのおかげでリングに立ち、みんなに支えられてプロレスできていることを気づかせてもらえる」とのこと。
まだまだ活躍が見られると思うと嬉しいですね。
子どもからお年寄りまで幸せにするプロレスラー
ビリーさんはボランティアで保育園や幼稚園、福祉施設を訪問する慈善活動もされています。
プロレスを通して元気と笑顔を届けるために活動されているそう。
「プロレスラーができることはリングで戦うだけでない」と、温かい表情がマスクからにじみ出ていました!
ビリーケン・キッド選手に質問!
Q:プロレスって子供がやりたいと言ったらどこに習いに行かせたらいいんですか?
伊丹で毎週火曜日にやっている、ピリーケン・キッドのプロレス教室エスペランサに来てください。
Q:子どもが真似をしたがるんで、危険な技とか真似していい技とかありますか?
ありません‼️全て危険です‼️
真似しないで下さい。
Q:旦那に技をかけたいのですが、ママでもできるプロレスの技はありますか?
金的
Q:子供の喧嘩を仲裁するのにいい技は?
顔面に毒霧を噴射しましょう。
Q:護身術に使える技はありますか?
毒霧、金的
Q:朝のルーティンはなんですか?
トイレ掃除
Q:夜のルーティンはなんですか?
ストレッチ
Q:女性が筋肉をつける方法は?
トレーニング、食事、神への祈り
Q:ぶら下がっていいですか?いいなら、何キロまでいいですか?
申し訳ありません。僕の肩は脱臼する危険があるのでお断りさせていただきます。
Q:殴られたら痛いんですか?女性に殴られても痛いんですか?
女性はもちろん子供に殴られても痛いです。僕たちは血も涙も流す人間です。
Q:プロレスラーになってなかったらどんな職業についてたと思いますか?
実家の土木業
Q:心に残っている映画はありますか?
ALWAYS 三丁目の夕日
ありがとうございました!
ビリーさんから読者プレゼントをいただきました!
なんと『ビリーケン・キッド25周年記念大会DVD』を3名様にプレゼント!
応募方法
こちらからご応募ください。
応募締め切り
2023年3月12日(日)
大阪城プロレスを観る前にこれを読むと100倍楽しめる!?
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生まれも育ちも城東区!
二児の母です♪